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横浜F・マリノスを中心に、サッカーの奥深さ、戦術の面白さを伝えたい

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だから私はユニフォームを着て行くことをやめた

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今回は、私のサポーター生活を題材に書こうと思う。

ここ最近は私服でスタジアムに行くことが多い。それは、ホームゲームの前後に予定があるからでも、ユニフォームのデザインが気に入らないからでもない。
自ら進んで「着ない」という選択を毎週し続けている。

なぜか?

ひとつ大きいのは、5月のACL FINAL。特に2nd legで人生最大の遠征をしたこと。自宅を出た瞬間からタオマフを首に巻き、試合日はホテルを発つ瞬間からNo.27のユニフォームを身に纏い、決戦の地に赴いた。ドバイ・アルアインで目にした光景も強烈に印象に残っている。オフィシャルツアーバスの集合場所、スタジアム周辺、翌日のドバイモール。遠い異国の地で、誇り高きマリノスのユニフォームを皆が勇ましく身に纏う姿は、とても頼もしかった。

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そしてACLから帰国したとき、ユニフォームを着てスタジアムへ向かうことに漠然とした違和感を覚えた。もちろんいつだってマリノスを応援しているが、ACL FINALへと向かう気持ちの強さを象徴するモノとしてユニフォームがリンクした。

どうしてもあのときと同じ熱量でスタジアムへ向かうことができない。その差異を感じた次の瞬間、ユニフォームを着て行くことに冷めてしまった。

「ユニフォームはスタジアムに着て行くものだから」と割り切ることはたしかにできるかもしれない。20年もサポーター生活をしていれば、どこかルーティン化するものはある。座席、スタジアムでの行動、ユニフォームを着て行くこともそのひとつだろう。

しかし、それはユニフォームに"着られている"のだ。

だが、毎週スタジアムへ行くのも、マリノスに勝ってほしいと願うのも、こうしてサポーター生活を題材にした記事を書くのも、他ならぬ自分である。私は、その都度自らの感情の機微と正直に向き合い、マリノスを進んで選び続けたいのだ。

サポーターは、「心のクラブ」に自らを重ね合わせる。だから、マリノスが勝てば自分が勝った気になるし、マリノスが傷つけられれば自分が傷つけられた気になる。自らの価値とマリノスの価値が、同期してしまっている。ただし、これはある意味幸せなことである。そうやって自分の価値を測る術を知っている、という点で。世の中には、その尺度となる「心のクラブ」すら持たない人間が山ほどいるのだから。

しかし、私はどちらにもなりたくない。

私は、自分を何かに投影せずとも、自分自身の価値を認められる人間である。そう胸を張って言いたい。

では、具体的に何によって自分自身の価値を認めることができるのか。それは、自分がやりたいことと正直に向き合うこと、そしてその自分が好きでいれること。

スタジアムでサッカーを観ているときの私が好き。ピッチ上で起きた事象を解釈する着眼点が好き。試合後、友達とマリノスの話をするときの私が好き、、、、

無数の「私が好き」によって自らの価値を認めていったときに、例えばマリノスの勝敗や順位、サポーターはかくあるべきという内外から来る圧力は、途端にその価値を失う。

だから私はユニフォームを着て行かない。長いサポーター人生そのものが、「えっ、ユニフォーム着ないの?」と今の私を責めてくるのだが、そういう自分はゴミ箱に叩きつけている。

心から着たいと思った日に着る。今はモノにすがる必要ないから。