StoryTeller

横浜F・マリノスを中心に、サッカーの奥深さ、戦術の面白さを伝えたい

MENU

【正統に紡ぐ】横浜F・マリノス2023シーズンレビュー

f:id:rod25:20231210195324p:image

【序章 継続性を手にするために…】

2023シーズンは、どのクラブにとっても苦しかった。ここ数年は、強さを継続することの難しさに直面している。3勝1分け1敗の5試合は作れても、シーズン通してキープし続けることができない。多すぎるコンペティション、後を絶たない長期離脱の怪我人、それを助長するかのように年々高まっていくプレー強度、そして相次ぐ若手有望株の海外移籍。各クラブは、不条理・理不尽と常に向き合いつつも強さの継続、ひいてはリーグ戦で勝ち続けられるチームを作ろうとしている。

ご多分に漏れず2023マリノスも、その渦中でもがいた。正直、目を背けたくなるほど辛い時期もあったが、最終的にはリーグ2位、ルヴァンカップベスト4、天皇杯3回戦敗退、ACLグループステージ首位通過と、メジャータイトルこそ獲得できなかったが、まずまずの成績を残した。しかし、そんな無機質な数字に面白みは感じない。マリノスが何をしようとしていたか、それはなぜやらなければならなかったのか、そしてそれはなぜ上手くいって、なぜ上手くいかなかったのか。ここに共有したいストーリーがある。

皆さんも、自分の学校や職場、家庭など身の回りで起きていることに照らして読んでいただけると、少し共振・理解していただけるところがあるのではないかと思う。こうしてシーズンレビューを書くのは5回目になるが、毎度のことながら超長文になるため、まず目次を参照いただき、気になった章だけを手に取っていただければ幸いである。ちなみに筆者の趣旨は、第1章、第2章、第5章、そして終章を読めばある程度掴めるように書いている

また、シーズンを振り返る内容ではないが、新監督の人選について、【あとがき】に自分の思うところを書いた。興味のある方はぜひ【あとがき】も参照いただきたい。

では、早速2023マリノスの航海を振り返っていこう。

 

 

【第1章 2023シーズンのテーマ】

話は、開幕前に遡る。そもそも2023シーズン初頭、マリノスは、どのようなシーズンと位置付けていたのだろうか。そのスタート地点を紐解いていく。

はじめに、2023マリノスのテーマが何であったか。大きく分けて2つ挙げられる。

 

①2022シーズンの積み残し課題

一つ目は、昨季の課題。2022シーズン、リーグ優勝を果たしたものの、大きな壁に直面していた。後半戦に敗れた3つのゲーム、川崎(アウェイ)、G大阪(ホーム)、磐田(ホーム)には共通点があり、それはスペースを消すことでマリノスが得意なハイテンポの土俵に持ち込ませない守備

連覇を目標に掲げ、かつ中長期的にリーグとACLの両立を目指せるクラブになる上で、マリノスの「苦手」を突き付けてくるチームに対してどう点を取るか、これに取り組む必要があった。

 

②編成上の制約

もう一つは、スカッドの問題。

2022シーズン、大車輪の活躍でMVPを獲得した岩田智輝がセルティックへ移籍し、マリノスは2つのポジションのキーマンを失った。センターバックボランチである。ボランチで起用されれば、恵まれた体格を活かし、単独で広大なスペースのカバーと五分のボールをモノにする強さを発揮。センターバックでは、攻撃的な立ち位置を取るサイドバックの裏のスペースを埋めるモビリティを岩田は有していた。

では、岩田の後にこれらのポジションをこなすのは誰になるか。ボランチは、喜田・渡辺・藤田・山根。彼らは、「強度が高い」と言っても予測や判断の速さで勝負するタイプであり、例えば50:50のセカンドボールを強引に絡めとるような芸当はできない。ざっくりいえば、ターンや気の利いた立ち位置を取りながら、ボールを動かしてゲームをコントロールすることに長けた選手たちである。

一方のセンターバック。新加入の上島、怪我がちでフルシーズンを戦うことが難しい實藤を除けば、エドゥアルド、畠中、角田が主軸となる。彼らに岩田のような起動力はなく、前方向の強さや空中戦に自信がある選手たちだ。少なくとも、クレイジーなまでのライン設定とカバーリングで広大なスペースを埋めること、それをフルシーズンやり通すことは、無理筋というもの。

これらを加味すれば、2023マリノスに、2022シーズンまでのような速攻と攻守の切り替えを前面に押し出した、ハイテンポなサッカーをシーズン通して続ければ、マリノスの良さを出すよりむしろ致命傷になりかねないことは明白だった。

--------------

この時点で、2023マリノスがやるべきこと、その方向性は決まった。前シーズンに突きつけられた課題の克服、前シーズンと同じ戦い方が困難なスカッド事情。これら複合的な背景のもとに取り組むこととなったのが、スローテンポ、いわゆる遅攻へのチャレンジである。

そもそも、マリノスがアンジェ期以降取り組んできたハイテンポ・速攻との違いについては、下記にてまとめる。

 

 

【第2章 2023マリノスがやりたかったこと】

では、2023マリノスが描いた青写真を、構造含め少し具体的に紐解いていく。相手の出方に応じて、大きく分けて3つのスタイルで戦った。今回は、主にボール保持とトランジション局面に限定して述べる点だけご了承願いたい。

①2022からの踏襲

まず、どんな取り組みを行うにしても、2022シーズンまでに積み上げたものは残す。これはマリノスが持てる優位性である。

マリノスが最も得意とする、常にゴールへのアクションを絶やさない速攻ベースのスタイルは、もはやケヴィンが何かを言わなくても自然と体現できる域に達している。このスタイルの成否は、紛れもなくエウベルをはじめとする強力アタッカー陣の質によるところが大きい。ただし、相手ゴールに向かってとにかく早くボールを前線に送り込むため、基本的には全体の陣形が押し上がりきれていない状態で攻撃することになる。そのため、ひとたびボールを奪われれば、すぐに奪い返すことが困難であり、一転して相手の速い攻撃を受けやすくなる。その結果、両チームのアタッカーvs守備陣の局地戦の様相を呈す。結局どっちがチャンスをモノにできるか、その決定率で趨勢が決まるのだが、2023マリノスは、その状況で驚異的な強さを発揮した。リーグ屈指の破壊力を有するブラジル人3トップが火を吹いたのだ。

逆に守備では、エドゥアルドや上島の対人の強さや松原健の危機管理意識の飛躍的な向上もあり、概ね収支でプラスに働く試合が多かった。しかし、対戦相手との力関係で上回った試合は多く、先述した通り、やはりこのスタイルを主軸に据えてやり続けるのは無理があったことは、改めて強く言及したい(例:アウェイ名古屋戦)。

 

②時間を作ってゆっくり攻める

①で述べた速攻ベースの文脈は、元来マリノスが最も得意とする。これに乗っかり、かつアタッカーの質の差で上回れた札幌、京都などに対しては、とことんハマった。しかし、全チームがマリノスの得意な土俵で戦ってくれるとは限らない。むしろ、ディフェンディングチャンピオンの宿命と言うべきか、そうしたチームは、2022シーズンから大幅に減少した。

2023シーズンは、マリノスセンターバックを放置した上で、中盤以降にマンツーマンで付き、狭く守ることで、無理やりテンポを落としてくるチームばかりと対戦することになったマリノスとしても、苦手な土俵での戦いを強いられたのだが、今季のテーマ「遅攻」が試される状況となり、ある種マリノスらしく正面から向き合った。

結論から言えば、この課題に挑み続け、跳ね返されてきたシーズンだった。ただし、実は4月のアウェイ神戸戦で一応の完成形を見ている。
この試合、汰木、大迫のゴールで2点を先行した神戸は、4-2-4のハイプレスをやめ、コンパクトなブロックへと移行。マリノスは、畠中と角田のセンターバックコンビが自由にボールを持つことができた。いや、持たされた。しかし、2点目の渡辺皓太のゴールに代表されるように、マリノスはこれを攻略。特に畠中は、得意のぎりぎりまで相手を引き付けてリリース、前方向へパスを付けるプレーが冴えわたり、そこから相手を芋づる式に剥がすこと、ひいてはマリノスの選手が動く時間を作ることに繋がり、これがよく利いていた。マリノスのサッカーにおいては、この「選手が動く時間を作ること」が殊更に重要である。なぜならば、ピッチ全体に広く選手を配置するのではなく、密集を作って一点突破、かつ奪われたらそのまま密集で囲んで即時奪回に繋げることを重視しており、ボールを中心に各選手が寄って行くフェーズが必要なためだ。今季の畠中は、相手の守り方との兼ね合いはあるにせよ、この時間を作るフェーズにおいて欠かせない役割をこなしていた。

大きな転機となったのは、5月初旬に角田が負傷したこと。以後、対戦相手はこぞって畠中を封じるようになった。引き付け→リリースが得意な畠中には強くプレッシャーをかけ、替わってスタメンに定着したエドゥアルドへと誘導し、相手を引き付けたり、運び出したりするプレーに難がある、彼の不得手な部分を肥大化させるアプローチを採用してきた。

時を同じくして、ヤン・マテウスが右ウイングのスタメンに定着し、4-2引き付け前進から前線のトリデンテによる速攻がチームの主軸となり、その後破竹の6連勝を飾るなど躍進を見せたことから、チームとして遅攻ポゼッションの進捗がぼやかされたままシーズンは進んだ。

しかし、そこに立ちはだかったのが川崎フロンターレ。7月のホームゲーム、優勝争いに生き残る上で後がなかった川崎は、自分たちの強みを出すことよりマリノスの強みを消すことを優先し、コンパクトな守備ブロックを敷いてきた。結果、見事にマリノスを窒息させ、目を逸らしてきた課題を再び突き付けてきた(マリノスが川崎に負けるときはだいたいコレ…)。

マリノスは、7月後半の中断期間を経て、本格的に遅攻の整備にトライする。8月のアウェイ浦和戦以降、①ヤン・マテウスを中央のゴールに近い位置でプレーさせること、②ダブルボランチが横並びでなく段差をつけ、どちらかがゴール前に顔を出して決定機に絡むこと、を実践し、ホームガンバ戦の先制点のシーンのように、中央で密集を作り、ライン間・バイタルエリアのスペースを使ってゴールを目指す狙いが見て取れた。

しかし、ここで悲劇がチームを襲う。8/19のFC東京戦でヤン・マテウスと畠中が負傷交代、さらにこの試合で3か月ぶりに復帰した角田も再離脱。そして不幸にも前日に夏のメルカートが閉幕、穴埋めの補強もできない窮地に。私は、この試合こそが2023マリノスの行く末を最も大きく狂わせたと捉えている。

以後、ナムテヒをトップ下に置き、彼がボランチの位置に降りることで中盤の瞬間的な数的優位を作るなど、手を変え品を変え遅攻を前提とした前進構造の構築・整備に取り組んだ。しかし、試合の中で数回狙った形を作ることができたとしても、決定機を恒常的に創出するまでの練度にはならず。次々とJ1の強度の高い守備陣に飲み込まれていく試合が続いた。結局、遅攻ポゼッションという命題のみに着目すれば、シーズン終了まで明確なアンサーを見ることはなく2023マリノスの飽くなき挑戦は幕を下ろした。

そもそもマリノスのサッカーのベースは、密集を作り、狭く攻めるサッカーである。
当然相手も狭く守ってくる中で、各選手がマークを外すための時間を作ることで、出し手と受け手の呼吸を合わせなければならない。例えば、受け手が瞬間的に相手のマークを外した瞬間にパスを付ける、受け手の動きに呼応して3人目の選手がリンクを作る、このようなことができず、相手のプレッシャーをクリティカルに受けながら、味方同士でボールを渡し合う、いわば爆弾ゲームのような事態が起きていた。受け手としては、相手のきついプレッシャーを背中でもろに受けた状態でボールをもらうため、ミスが起こりやすく、たとえ上手くコントロールできたとしても、次のプレー、どこに運ぶかを考える時間が与えられない。渡辺や喜田らが曲芸的なターンでうまく剥がせたとしても、その後がチェーンとして繋がっていかない。

全体を押し上げるアプローチ自体は合理的だったものの、ゴールへ向かうためのスイッチいつ誰が(どうやって)入れるか、最後まで悩み続けた。

 

【第3章 前輪駆動のジレンマ】

エウベル、アンデルソン・ロペス、ヤン・マテウス

20年以上Jリーグを見ているが、私はこれほど強烈なトリデンテを見たことがない。スペースを与えられた状態でボールが渡ったときのワクワク感は歴代随一である。特にエウベルというウインガーは、J歴代トップクラスのヤバいヤツだ。ほぼ確実に対面のサイドバックを剥がすドリブル、その前提を置けるアタッカーは稀有である。

しかしその一方で、2023マリノスが取り組んだ方向性、攻守のサイクルを高速回転させない、保持とネガトラの2局面で勝負するサッカーとは、実は相容れない”異物”でもある。彼を称する際、私は「ファンタジスタ」という言葉を使う。ボールを持つと、確率や難易度は度外視で、ゴールへの最短ルートとなるプレー選択をするからだ。ドリブルはもちろんのこと、チャンスメイクのパスやシュートなど、ほぼ1人で攻撃を完結させてしまう。その反面、敵陣に進入する際に、チームとしては一度ゴールに向かわない、体勢を整えるアクションを挟みたいのだが、エウベルが強引に突進した結果、攻撃のスピードを制御することができないシーンも散見された。

ただし、遅攻ポゼッションの進捗がままならない中で、チーム内のルールに「行けるなら行け」が存在(練習を見ているとよく聞こえてくる指示)し、かつエウベル以上にゴールへ向かうアクションを成功率高くこなしてくれる選手もユニットも、このチームには存在しないことから、彼をわざわざ外すのは本末転倒というもの。

右のヤン・マテウスにも言えることだが、2023マリノスは、「速攻で攻撃を完結させる能力が高すぎるアタッカー陣」と「本来体現したいスタイルへのこだわり」、これらが相反する状態であり、バランスを取ることに苦慮していた。この点、ケヴィンが開幕からヤン・マテウスを頑なにスタメン起用しなかったのは、それによって生じるアンバランスさをコントロールすることが困難だと踏んでいたからなのかもしれないと今になってみて思うところではあるのだが…。

 

【第4章 未曾有の野戦病院状態はどう作用したか】

2023マリノスがリーグ優勝を逃した原因を紐解く上で、特に守備陣を中心に怪我人が多発し、いわゆる「野戦病院」状態であったことは、重要なファクターである。本項では、それがどのようにチームの歩みに作用したかを大きく2つの観点で述べる。

まず一つ目は、畠中と角田が通年稼働できなかったこと。先述したとおり、対戦相手がマリノスの苦手を突きつけてくる中で、時間とスペースを享受できる両プレイヤーが貯金を作ることができれば、遅攻ポゼッションの練度向上および得点パターン構築まで達成できていたかもしれない。それでリーグ連覇、複数タイトル獲得まで行けていたかはわからないが、課題進捗上の着地点はもう少し前進できていたことは間違いないだろう。

二つ目は、長期離脱など様々な理由でスタメンから外れた選手に、発信力のある選手が多かったこと。先述した畠中、小池龍太、角田など、このチームに比較的長く在籍し、かつ自らでマリノスのサッカーを定義し、周りに伝播させる役割を担える選手が相次いで長期離脱を強いられた。負傷者以外にも、後半戦に水沼宏太喜田拓也の序列が相対的に下がったことや、高丘や仲川、マルコスなどマリノスのサッカーを知り尽くした選手がこの1年で立て続けにチームを去ったことが、チーム全体のコミュニケーションに少なからず影響したのかもしれない。編成上ただでさえ過渡期で難しいシーズンだったにも関わらず、輪をかけて急速な野戦病院化が進み、目の前の課題に対する改善の動きが平時よりもうまく作用しなかった可能性はここで指摘しておきたい。しかしその一方、これは長いシーズン中に自然と生じ得るチーム事情であり、アンコントローラブルで、かつ複合的な要素を孕む課題である。もはや誰が悪いとかいう類の話ではない。

 

【第5章 頑固さにも正義(ケヴィン退任によせて)】

2023年12月7日、ケヴィンがマリノスを離れることが発表された。本稿は、2023シーズンレビューなのだが、少しこの指揮官について紐解いていく。

大前提として、ケヴィンは0から1を生み出す発明家ではない。例えばキャンプからそのシーズンの骨格となるような型をがちがちに仕込み、メンバーを固定し、ひたすらその練度を高めていくような手法は採らない。
とりあえずざっくりとした枠組みでメンバーを組んでやらせる。そのため、序盤から新戦力も積極的に登用し、選手を入れ替えながら試していく。それを続けていく中で、ハマる組み合わせや選手のポジションが自然発生的に浮き彫りになる瞬間があれば、それを見逃さず、取り立ててチームの枠組みの中心に据える

ハマる組み合わせの事例は、2021シーズンのエウベルと小池龍太、2022シーズンのエウベルと永戸、2023シーズンの吉尾とマルコスの横並び0トップなどである。こうしてハマる型を発見した直後は、年間で最も勝ち点を積み、一大収穫期を迎える。しかしその後、型がバレて各チームの対策を受けてからは、それに対するアンサーの発掘に四苦八苦し、かつ試合中に明確な修正を加えることもしない

この点、ケヴィンは、ある意味待っている節がある。選手間に起こる自然作用を。

ケヴィンは、0から1を生み出さない、発明しない。あくまでも、チームが「存在している状態」から、そこに起こる自然作用を活かすタイプの指揮官だ。その状況で、せっかく見つけた型を対策され、使えなくなってしまったとき、ケヴィンには打つ手がなくなってしまう。だとすると、次に動くのは選手である。選手が話し合い、すりあわせ、体現する。競争力の激しいリーグでも戦い抜ける、新たなアイデアや圧倒的な強みを、選択肢・刺激としてケヴィンにもっと与えることが必要だった。ケヴィンの指揮下でシーズンを通じてマリノスが強くあり続けるならば、型の発見→浸透→相手からの対策、このサイクルを3回は作りたかったはずだ。ざっくり1サイクル10~15試合として。

2023シーズンでいえば、特に後半に怪我人が続出し、かつ過密日程だったことから、そうした自然作用を取り立てる暇はなく、目の前の試合をこなすことで精一杯だったように見えた。それでも特に8月後半から9月にかけて、怪我人が続出し、起用できる選手の素質思い描く絵図に到底埋まりそうもない明らかなが生じているにも関わらず、頑固に貫き通した。今季のスカッド事情的に「これでやるしかない」という切迫感は間違いなく存在し、そうだとしても選手に多くを求めすぎたきらいはたしかにある。しかし、起用できない選手が存在する状況はどんなときでも存在しているのだから、それが多かろうが少なかろうが自分が求めるレベルは下げない。細かな方法論含めて全て正しかったとは言わない(これは好き嫌いもある)が、ギリギリまでケヴィンは待っていた。それは、彼なりの正義を貫いたからという見方もできる。

 

【終章 正統に紡ぐ哲学、スパイラル構造の成長戦略】

弓道の世界には、「正射必中」という言葉がある。これは、「正しく射られた矢は、必ず中る」という意味であり、ひたすら自分にベクトルを向け、その射法を問い続ける求道者の心構えをよく表している。実際に弓道に傾倒した知人に話を聞くと、その時々の調子や身体のバランスによって矢の飛び方は変わるらしく、それに迎合して崩れた射法で矢を射ると、「正射」の道から外れていくのだという。「こうした方が今日は矢が的に当たりやすいから、多少体勢は崩れるかもしれないけど、こうやって射よう」というのは邪念。弓道に励む者が打ち勝たねばならない最大の敵は、的ではなく、目先の成功、その満足感にすがりたい自分自身の弱さなのである。

上記の壮絶な経験談を聞いたとき、競技の特性は全く違うにせよ、マリノスとよく似ていると思った。自分たちが取り組むべき課題を打ち立てた上で全員で向かっていく。その過程で、相手の対策など様々な困難に直面するが、目先で結果を出しやすい方法に頼らず、常に自分たちにベクトルを向けながら乗り越えていこうとする。この哲学は、アンジェによってもたらされたのだが、日本発祥の武道にも近しいところがあり、実は日本人の価値観にマッチしている。マリノスが取り入れたメソッドは、ヨーロッパのメソッドに非ず。流行りに惑わされず、日本に合った独自の価値観のもとにそれを推し進めたからこそ、今の立ち位置を築けた側面は少なからずあるのではないかと私は考える。

以上がマリノスの哲学、その根底に流れる精神性の話だが、これをピッチ上の事象に落とし込んで考えてみる。2023新体制発表会で提唱されたマリノスフットボール・フィロソフィーに、次のような文言がある。

「Dominate the game 攻守に於いて絶え間なく主導権を握り、いかなる状況下でもゴールを目指し攻撃的な姿勢を貫く」
特に後段を見れば明らかだが、これはマリノスが築き、現在も得意とする、常にゴールへ向かうアクションを起こし続ける速攻ベースの文脈と非常に近い現象を指している。その一方で、2023シーズンに取り組んだ遅攻ポゼッションは、時にはゴールへ向かわない選択をする、より合理的にゲームをコントロールするという点で、必ずしもこれに合致するものではない

あくまでも捉え方の問題で、かつ標語は標語でしかないのだが、ここで定義される哲学は、「立ち返る場所」のようなものと考える。チームが方向性を見失ったとき、自信を無くしたとき、とにかく自分たちを表現したいときに、自分たちの手で築き上げた、マリノスらしい躍動感と自信を体現できるサッカーを手段として持っていること。これは、紛れもなくマリノスの価値だ。監督人事、編成・補強、コンペティション、試合の感想、何を語るにしても、まずマリノスが今持てているこの財産は、我々がもっと価値を感じ重んじるべき得難いものであり、事あるごとに社長や強化責任者から発せられる「継続」という言葉にも込められている。

一方で、その時々のスカッド事情、リーグの傾向、シーズン単位の結果は加味・重視しつつ、クラブとして裾野を広げ、成長していくための新たなチャレンジは、積極的に取り組むべきであり、2023マリノスを見ていれば、その余白を封じていないことがわかった。これは、このクラブを追い続ける上で、個人的な成果でもあった。ただし、クラブとしてはあくまでも立ち返る場所の維持を最重要事項として置くことが前提にあるのだろう。

「自分たちの強み・躍動感を体現できる、完成された速攻」と「チームとして幅を広げるための新たなチャレンジ」、2023シーズンのマリノス、特にケヴィンは、対戦相手の特徴、選手のモチベーション、タイトル獲得への道筋を見極めながら、この2つを実に上手く使い分けるマネジメント(ちょうど良いタイミングで札幌と当たるなど幸運もあったが…)を行い、結果を出しながらマリノスを着実に成長させた。また選手も、成功体験・強みだけにすがることなく、上昇志向を持ち続けた。今できないことがあって、その反面できることがある。それでも、前者に目を向け続けた結果、松原健のように攻守両面、主に守備面で飛躍的な成長を遂げた選手がいた。

 

マリノスはこれからも、こうした複数の文脈を常に持ち続けながら、地道に、少しずつサイクルを回していく。それを続けていく過程で、段々とクラブが大きくなっていく。一足飛びの成長は、必ず歪みを生む。競技面だけでなく、事業面など全てにおいて、この地道なスパイラル構造こそが、いまマリノスが描く成長戦略・青写真なのだろう。

 

【あとがき】

最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。今回で5回目となるシーズンレビューいかがでしたでしょうか?

「アタッキングフットボールという単語を使わないこと

今回記事を書くにあたり、このことは強く意識しました。こういう体のいい言葉を使った安直な結論づけによって以後の思考を止めてしまう論評の類が世の中に流布され、それで納得されている現状が私は好きではありません。「マリノスはアタッキングフットボールだから」じゃああなたの言うアタッキングフットボールとはなんですか?と問いたい。2023マリノスは、選手だけでなくマリノスに関わる全ての人にそれを投げかけてくれたと思うのです。だから、まずは自分が先立って問いを立て、ひとつの考えを示してみました。またここから自分の思考をアップデートさせていこうと思っています。

 

こうした膨大な時間軸をまとめる総括記事を書く際は「これ間違えているんじゃないかな」とか「これじゃあの人の受け売りになっちゃうな」とか、廃棄物と同等の価値でしかない雑念との闘いだったりします。

でも、間違い上等、受け売り上等。どうせ1ヶ月後にはあなたの思考はアップデートされるし、あなたが頭に思い浮かべてるその人だって、他の発信等を見て少なからず影響され、誰かの受け売りをしているに過ぎないのです。そもそも今のご時世、みんな日々色々なものに触れ、何かに影響を受けて生きています。サッカーに関係なくてもそうです。その中で大切なのは、見たもの聞いたものを自分の頭の中に取り込んで自分なりの解釈をする、言葉にする、そして納得すること。その時点で、誰のものでもないあなたの言葉なのです。このプロセスを踏むか踏まないかで、サッカーが楽しいと思える感覚も、得られる納得感も全く違います。

だから、本稿を読んで2023マリノスを振り返った気になっているそこのあなた、ご自分の思うところを言葉にしてください。もしきっかけがないのなら、この記事をXでポストするので、「2023シーズンを踏まえて、2024シーズンのマリノスに期待することは何か」という命題について、引用リポストで思いの丈をぶつけてください。どうやったら遅攻ポゼッションはうまくいくのか、そのためには何を変えないといけないか。皆さんの回答を楽しみにしています。

 

さて、少し来季のマリノスに目を向けてみます。監督が変わります。おそらく12/14朝の時点で報道に名前が上がっているハリー・キューウェルの就任となるでしょう。肌感では、「賛否両論、否多め」といったところです。

なぜハリー・キューウェルが新監督として適任なのか。個人的に、マリノスのフロントが考えているのは、こういうことじゃないかな?という自分なりの答えは持っているので、本稿の締めとして、少しその話をします。

基本的には本稿、特に終章の焼き直しになるのですが、そもそもマリノスが2024シーズンから体現するサッカーとは、「アンジェ・ポステコグルーのサッカー」でも「ケヴィン・マスカットのサッカー」でも「オーストラリアのサッカー」でもありません。あくまでも「ハリー・キューウェル新監督のサッカー」です。

ケヴィンが就任したときも同様でした。就任当初は前体制を踏襲するアプローチもありましたが、翌シーズン開幕時には、ほぼ完全に自分の色に染め上げていました。ポジションの枠組みを撤廃する思考など共通点はありますが、ビルドアップ時の立ち位置や選手起用の面で、それは如実に現れていました。

今回も同様です。ハリー・キューウェルがどんなサッカーを志向するのか、まだ把握できていませんが、ケヴィンのエッセンスはグラデーション的に薄れていき、必ずハリー・キューウェルが導く新しいマリノスのサッカーになります。これは絶対にそうです。

じゃあなぜハリー・キューウェルなのか。他の実績ある監督じゃダメなのか。

それは終章にも書いたとおり、マリノスのサッカーには、変えても良い余白と守らなければならないスタイルがあります。中長期を見据えたクラブの成長と短期的な結果、マリノスはこの両方を求めるクラブなので、やはり誰でも良いかと言うとそういうわけにはいきません。ここのリスクの受容度は、人によって感覚・意見が分かれるところだと思います。かくいう私も、喜田拓也がいればどんなドラスティックな変化があってもチームは瓦解せずまとまれるだろう、そう思わないでもないです。笑
しかし強化部は、そのリスクを重く見ているというところで、一定理解はできます

そのスタンスを取るならば、今回の引き継ぎは非常に重要です。これまでマリノスが紡いできたものは何か、そして何を変えていかないといけないか、これらを可能な限り正確に引き継ぎ、実行していくにあたり、キーパーソンとなるのが、ショーン・オントンHCや松崎裕通訳をはじめとする、現在のコーチ・スタッフ陣です。おそらくハリー・キューウェル新監督就任後、彼らは留任となるでしょう

選手の視点に立ってもそうです。今まで積み上げたマリノスのサッカー、自分たちが取り組んできたサッカーは継続できるのか。マリノスのサッカーが魅力的だ。ここで成長したい」と入団時に口を揃えてコメントするくらいですから、現在所属している選手、これからマリノスに移籍してくる選手にとってとても重要なのでしょう。この点、コーチ・スタッフ陣が変わらないということは、方向性そのものが大きく変わらないことを意味します。ここはマリノスでプレーすることを選択する選手にとってかなり大きな要素だと私は思います。

皆さんも、日々学校や職場で担任の先生や上司が変わることは往々にしてあると思いますが、これってかなり大事なことだったりしませんか?私は、「何をするか」よりも「誰と働くか」で得られる充実感が大きく変わるので、この心情が痛いほどよく理解できます。

話を戻します。

現コーチ・スタッフ陣の留任。この条件を出した時点で、実は新監督候補がかなり絞られるのです。

  • 実績ある外国人監督は、コーチ・スタッフチームを引き連れて動くため、現コーチ・スタッフ陣の留任という条件にほぼ間違いなく首を縦に振らない
  • 現コーチ・スタッフ陣とのコミュニケーションの観点から、オーストラリア人か、百歩譲っても英語圏の人(個人的に、オーストラリア人以外ありえないと思っている

この状況で取れる選択肢として、ハリー・キューウェルという人物はどうでしょう?

  • 上記の条件を余裕でクリアしている
  • セルティックで日本人選手(複数人)の指導経験があり、しかも評判が良い
  • アンジェ・ポステコグルーの下でのコーチ経験がある
  • ない実績を作るため、野心を持って臨んでくれる

彼がかつて率いたチームのサッカーがどんなだったか、彼の指導能力がマリノスの求める水準に合致しているかは、未知数です。しかし、それはどんな監督でも同じこと。現時点で除ける限りの不確実性を取り除いたときに、マリノスが下した決断は、一定頷くことのできるものだと思いました。
ぶっちゃけ面白みに欠けるし、ワクワク感は薄いです。しかしそれは、何も責任を負わなくて良いサポーターが趣味に求めるスリルと、プロが生活を賭けて取り組んでいるリアルの違い。そもそも根本的に相容れないのです。だから、喚くのも拍手するのも勝手だけど、クラブも同じかそれ以上に勝手に決めて走っていて、この2つはどうあっても交わりません。肯定する声も否定する声も、クラブの意思決定にはこれっぽっちも反映されません。

我々にできることは、自分とクラブ、その1vs1の関係において、消費すること。私「だけ」のクラブとの向き合い方で、私「だけ」が楽しむこと。たとえ同じ色の服を着ていても、他者は関係ないと割り切れれば良いのに…。昨今のいざこざを冷ややかな目で見ていて感じることですが、人の性だから仕方ないよと言われればぐうの音も出ません。

 

【Appendix:2023Jリーグ概況とマリノスの4-2引き付け前進】

リスク管理型プレッシングの隆盛

2022シーズンのJリーグは、ボール保持全盛のシーズンだった。
マリノス・川崎・広島と上位3チームは、ボールを握りながら主体的にゴールまで向かう確固たる道筋を持っていた。他にもポゼッションの国・スペイン出身の指揮官を登用したFC東京や浦和、長くボール保持を基調としたスタイルを築き上げている鳥栖や札幌なども大きな括りでは同じ流派である。

そもそも、世界に目を向けてみると、ここ数年は相手の中間ポジションに立ち位置を取るポゼッション・フットボールが主流であり、かつ前線にスピードのあるアタッカーを置いて速くゴールを陥れる選手が重宝される時代であった。

しかし、2022ワールドカップカタール大会が、世界のフットボールシーンに新たな潮流が訪れたことを鮮烈に印象付けることとなった。

相手チームが足元で繋いでくることを念頭に置いて、高い位置からプレスをかけてボールを奪い、ショートカウンターでゴールを陥れるチームが躍進する。その構造を具体的に噛み砕いてみる。

▼ゾーン2に縦幅コンパクトなブロックを形成
▼マンツーマン基調で当てはめるように相手を捕まえる(⇒中間ポジションを取らせない)
▼DFラインは高く設定しない(⇒ロングボールでひっくり返されない)

この「前後分断型マンツープレス」は、リスクとリターンの両方を担保するプレッシング構造として、世界的な潮流となっている(22-23シーズン後半戦以降のヨーロッパの試合を見ていても、この構造のチームが本当に多い)。

当然、2023シーズンのJリーグもこの影響を受けた。優勝を果たした神戸、前半戦スタートダッシュに成功した名古屋は、まさにいち早くこの流行に乗っかったチームであり、特に序盤戦で当たった、新たにボール保持を志向するチームを次々に破壊していった。

 

吉尾海夏が見出した4-2引き付け前進

では、マリノスはどう対応したか。マリノスもボール保持を基調とするチームであるため、この環境は本来望むところではない。

実は、開幕当初からそのアンサーに近しいアプローチは行なっている。4バックが横並びになることで相手のプレスを引き出し、アンデルソン・ロペスが降りてきて前進する形。これをより体系化・整理したのが、ルヴァン杯第3節札幌戦(ホーム)で試行した、吉尾海夏とマルコスの2枚の0トップを並べる、4-2-4-0、人呼んで「4-2引き付け前進である。この形が、ブライトンに似ているとして度々メディアにも取り上げられたが、相手の前線4枚+ダブルボランチが、マリノスの4バック+並行の立ち位置を取るダブルボランチに対してマンツーマンでプレッシャーをかけてくる修正を利用し、引き込んでその裏を取る手法でプレスを剥がそうというのが狙い。特に、降りて受けるアンデルソン・ロペスに対しては、どのチームも手を焼いていた。J1の名だたる強度の高いボランチと言えども、筋骨隆々のブラジリアンには分が悪かった。

しかし、新潟戦(アウェイ)の後半、松橋力蔵監督は、これに対する一つの答えを突き付けてくる。
新潟のボランチ・高と島田が、マリノスボランチと2トップ(ロペス&西村)の中間ポジションを取り、前後両方に付くことができる状態を作ってきた。ボランチにボールが入れば、そのまま前に出てアタック、ロペス&西村にボールが入れば、センターバックと一緒に挟み込み、数的優位を作って奪う。

その後も、センターバックが降りるアンデルソン・ロペスに対してどこまでも追いかけていくことで起点を作らせないなど、手を変え品を変えマリノスの4-2引き付け前進への対策を各チームが講じた。

一方のマリノスも、西村がサイドに開く、エウベル&ヤン・マテウスが斜めに裏抜けする(ホーム柏戦の2点目、アウェイ名古屋戦の1点目、etc…)など「対策の対策」を講じ続け、夏場を越えたあたりからそもそもマリノスに対して4-2-4の当てはめ式マンツープレスをかけてくるチーム自体がほとんどなくなった。

この点、よほど守備陣の質に自信を持っている浦和とかでない限り、マリノスに局面をひっくり返され、破壊的なアタッカー陣にスペースを与え得る状況自体が悪手であり、多くのチームが諦めたものと解釈することができる。

少し本筋とズレる論点ではあったが、2023マリノスが多くの時間を費やして取り組んだ文脈だったため、Appendixという形で記しておく。

 

~Fin.~